Stay hungry, stay foolish

息子が産まれて半年が過ぎた。
職場の先輩から育児の話を聞くと、本の読み聞かせを強く勧められた。
小学生になる先輩の娘は、読み聞かせの効果で毎回テストで100点を取ってくるとのことだった。

 * * *

仕事帰りに、私は絵本を買いに本屋に立ち寄った。
本屋にはたくさんの絵本があり、どれを買えばいいのか迷ってしまう。
そんな時「はらぺこあおむし」の特設コーナーが目に留まった。
見本をパラパラとめくると、色彩も鮮やかで話も読みやすい。
この絵本なら息子も喜んでくれるだろう。
そして、どうせなら英語を得意になってほしい。
日本語、英語が併記されているバイリンガル版を買ってみることにした。

 * * *

家に帰り、息子を私のひざの上に座らせ読み聞かせを始めた。

「ばっと、ひーわずすてぃーはんぐりー」

そもそも私が英語を話せないので、まともに英語を読むことが出来ない。
息子はすぐに絵本に興味を無くした。

「だけど、彼はまだお腹がすいていました」

私が英語での読み聞かせを諦めて、日本語で絵本を読み直すと

「あうあうあーー」

突然の雄叫びと共に、息子は絵本に興味を示し始めた。
彼が何を言っているのか分からないが、「そう、それでいいんだよ」と言われた気がした。

フェイク・コメント


頭が痛い・・・。

頭痛が始まってから、3日が経過した。
痛みに耐えながら会社で仕事をしているが、家に帰ると動けなくなってしまう。
妻からは「早く病院いきなさいよ」と言われるが、仕事の都合でなかなか行くことが出来ない。

「仕事と身体、どっちが大事なの?」

本気で心配する妻の問いに、答えることが出来なかった。

 ~ 翌日 ~

仕事の合間に、頭痛外来のある専門病院に電話をした。

「もしもし、急なんですけど今日診察の予約って取れますか?」

今日の17時でしたら、お取り出来ますよ」

17時まであと2時間。

「仕事と身体、どっちが大事なの?」

妻の言葉が頭から離れない。

「17時で予約お願いします」

席に戻りすぐに上司の席に向かった。

「すいません、早退させてください」

上司の許可をとり、すぐに職場を出た。
モノレールに乗り、グーグルマップで予約した病院を検索する。

降りる駅と駅から病院までのルートを確認すると、目的の病院に表示される評価という項目が眼に入った。

評価につけられているコメントを見ると「上から目線で最低の対応」「ため口で嫌な気持ちになる」といった書き込みがなされていた。

そんなに評判の悪い病院なのか?

違う病院に変更するか?そんな考えが頭をよぎったが、すでに予約時間が迫ってきている。
今から他の病院を予約できるはずもない。
諦めて予約した病院へと向かった。

 * * *

病院の中に入ると、平日にも関わらず多くの人が待合室に座っていた。
人気のある病院のようだ。

「17時に予約した高宮です」

受付に名前を告げ、渡された問診票に症状を書き込んだ。

「待合室で少々お待ちください」

待合室で待っているとすぐに看護師さんが現れ、診察前の問診が始まった。
問診票をもとに、隣に座り敬語で丁寧に症状を聞いてくれる。

「もう少ししたら、診察室に呼ばれますのでお待ちください」

今のところ受付やスタッフに不快な点はない。
次に登場する医者がくせ者なのだろうか?

「高宮さん、診察室にお入りください」

お知らせのアナウンスに呼ばれ、診察室に急いだ。
診察室の扉を前にして、まるで面接を受ける時のような緊張感が走る。
扉を2回ノックし「失礼します」の掛け声と共に扉を開いた。

中に入ると、年齢は50歳位、白髪混じりで短髪の男性医師が座っていた。
顔に笑顔は無いが、特に怖そうな感じはしない。

「こちらへどうぞ」

目の前に用意された椅子に座るように促された。
椅子は医者と向かい合わせではなく、隣合うような配置に置かれ、やけに医師との距離が近い。

「今日はどうされました?」

詳しく症状を説明すると、すぐに精密検査を受けることになった。
ほぼ飛び込みのような状況で、精密検査まで受けられるのは嬉しい誤算だった。
MRIで頭部断面図の撮影をして、再度診察室に入った。

「高宮さん、異常なしですね。脳は綺麗ですよ」 

とりあえず、脳に異常がないことに安心した。

「頭痛は今はおさまっているようですが、お薬出しておきましょうか?」

「せっかくなのでお願いします」

「お薬は飲まない方もいますが、痛いのに我慢するのは辛いですからね。痛みが始まったと思ったらすぐに飲んでください」

その後、脳の異常以外に考えられる、頭痛の要因などを教えてもらい、診察室を後にした。

会計を済ませて病院を出るときにふと、ここは良い病院なのでは?と感じた。
ネットのコメントが現実と違いすぎる。

ネットにかかれているコメントはなんだったのだろうか?
コメントが書かれた1年前はそういう状況だったのだろうか?
あるいは商売敵からの嫌がらせなのだろうか?

ネットに書かれたことが、永久に残る時代。
悪意や間違いで、簡単に人を陥れたり潰すことが出来る世界。

インターネットの恐ろしさを改めて感じた。

真夜中の仕事人

仕事を始めるのは、人が寝静まった深夜2時。
人通りの少ないオフィス街で、ビルの一階にある不動産会社に目をつけた。
裏手に周り事務所のドアノブを回すが、扉は開かない。
隣のビルとの間に目をやると、人がギリギリ1人通れる隙間がある。
その狭い隙間を通ると事務所の窓にたどり着いた。
事務所からその窓を開けても、隣のビルの壁しか見えないだろう。
普通は開けないであろう窓を横に引くと「ガラガラガラ」と勢いよく開いた。


「無用心だな」


胸ポケットから、オリジナルのメモ用紙を取り出す。


「窓の施錠がされていませんでした。お気をつけください」


最後に署名をして、事務所の郵便受けに投函した。


 * * *


交番で引き継ぎを終え、警察署に戻ると警務課の前原先輩が話しかけてきた。


「高宮、またお礼の電話が来てたよ」


前原はニヤリとした顔を見せている。


「どうせ、またあいつでしょ?」


「正解!」


「自分が書いたパトロールカードで、お礼が来たことなんて一度もないですよ」


「ははは。そりゃ郵便受けに女性からのお手紙が届いていたら、お礼の電話もかけたくなるさ」


「みんな1日署長をやっているアイドルを想像してませんかね?」


「あれ?お前と平良は同期だろ?仲が悪いのか?」


「いや、そんなことはないです!嫉妬してるだけです!」


「なんにせよ、平良のパトロールカードで喜んでいる人達がいる。それは事実だ」


「そう言われると、返す言葉がありません」


「おっ、噂をすれば我が署のアイドルが来たぞ」


本署の入り口をみると、平良がこちらに向かって歩いてきた。


「前原さん、高宮。おはようございます」


「平良、また君にお礼の電話来てたよ」


「ありがとうございます。お役に立ててたら嬉しいです」


「なんでいつも平良だけ・・・」


「同じ仕事をしてるようで、質が違うんじゃないのかな?」


平良は勝ち誇ったような顔をして言った。


「まあまあ、俺は高宮が頑張っているのも知ってるよ」


「ま、ま、前原さーーん」


私は両手を広げて前原先輩に抱きつき、前原先輩は私を力強く受け止めた。
二人の男が抱き合う様子を、平良は冷めた目で見ていた。

置いてきた記憶

家で子供をあやしていたが、今日は機嫌がとても悪い。
外の空気を吸って外の景色を眺めたら、彼も少しは落ち着くかもしれない。
気分転換に子供を連れて散歩に行くことにした。


「ちょっと坊主連れて散歩してくるわ」


子供を抱っこ紐で抱き、妻に見送られて玄関を開けると、目の前に1人の警察官が立っていた。


「こんにちは」


若い男性の警察官が、すぐに挨拶をしてきた。


「えっ!」


制服を来た警察官が、いきなり目の前に現れると動揺してしまう。
何だ?俺を捕まえに来たのか?
先日捕まった時の交通違反反則金は、しっかり払ったぞ。
なんで家に??
動揺しながらも「こ、こんにちは」と挨拶を返した。


「こちらは若松さんのお宅ですか?」


手元にある書類を見ながら、警察官は私に尋ねた。
犯罪捜査の聞き込み?
前に住んでた住民が何か犯罪を犯して、調べに来たのだろうか?
全然関係ないのに関係者や仲間と思われるのも心外だ。
自然体を意識して、態度で潔白を証明しよう。


「いえ、違います」


「失礼しました。私は那覇交番の与儀といいます。こちらにはいつからお住まいでしょうか?」


警察官はアパートの入居日、氏名、家族構成、連絡先などを順に聞いて記録を取っていった。


懐かしい・・・。


長いやり取りの中で、かつて自分が警察官だった頃の記憶が戻って来た。
担当地域のお宅を一軒一軒訪問し、地域の防犯情報の提供や困り事の相談を受けるのも警察官の仕事のひとつ。
私の配属先は田舎だったため、地域の繋がりが強く近所の方はみな周りに住んでいる人の事を良く知っていた。
そして、個人情報を教えることにそれほど抵抗がなかった。


しかし、人間関係が薄い都会で、今の時代に家族構成や連絡先まで聞きとりするのは、警察官とはいえ厳しいだろう。
おそらく断られることも多いはずだ。
それでも熱心に仕事をする目の前の若い警察官を応援する意味で、聞かれたことには全て答えた。


「ありがとうございます。何かありましたら那覇交番の与儀までご連絡ください」


若い警察官はそう言って、アパートの隣の部屋へと向かった。

私は昔の懐かしい記憶を思い出した気持ちの高ぶりを落ち着かせるため、外出を取り止め玄関の扉を閉めて家に戻った。
すると、すぐに妻が心配そうに駆け寄ってきた。


「大丈夫?」


玄関で警察官とやり取りしている間、妻は奥に下がっていたので詳しいやり取りを聞いていない。


「あぁ、大丈夫。何もないよ」


それでも妻の顔色は冴えない。


「もし、必要ならもって行って」


妻の手から私に黒いショルダーバックが手渡された。


「これは?」


「お泊まりセット。急ぎで用意したの」


私が警察に捕まると勘違いした妻は、すでに着替えとタオルをバッグに詰めて準備をしていた。

黄色の異名

朝は子供を抱いてから出勤するのが日課となっている。
今日も出勤前にハイハイしている子供を両手で抱き上げた。
「行ってくるよー」
と抱きしめてから、妻に引き渡し職場へと向かった。

 * * *

朝の会議で席に着いた時、違和感を感じた。
何か妙な匂いがする。
「おならか?」
誰かが密かにスカしたのか?
気付かない振りをするのが大人のマナーというものだろう。
誰も匂いには触れず、平穏に会議は終了した。

 * * *

机に戻り、会議の関係資料を整理しているとまた妙な匂いを感じた。
「また、誰かがスカしたのか?」
周りの同僚を見渡すが不自然な動きをしている者はいない。
「気のせいか?」
ふと自分の机を見ると、書類に黄色いシミのようなものがついていた。
「これは?」
自分のシャツを見ると、黄色の汚れがびっちりとついている。
あぁ、どこかで嗅いだような匂いはこれだったのか。
周りはいつから気付いていたのだろうか?
会議で私が発言する度に
「シャツにウンコついてる・・・」
と思われていたに違いない。
どうりで今日の会議は質問もなく平穏に終わったわけだ。
小学生だったなら「ウンコシャツ」というあだ名をつけられることだろう。
社会人になった今、私にはなんというあだ名がつけられるのだろうか。
小学生の頃と違い、つけられたあだ名は私の前では語られず、裏の隠語として使われるに違いない。
せめて「黄シャツ」とか洒落た名前で呼ばれたい。

かつて人を殺しまくり、その返り血でシャツが赤く染まったという「赤シャツ」と呼ばれた男がいた。
かつて子供を抱きまくり、漏れたウンコでシャツが黄色に染まったという「黄シャツ」と呼ばれた男がいた。
並べると格好よく聞こえる気がする。

やってしまったことは、もう仕方ない。
これからは平穏に終わらせたい会議には、あえてシャツにウンコをつけて臨もう。
「黄シャツ」の高宮。
それが私のコードネームだ。

悪い注文正しい注文

家族3人で始めてコメダ珈琲店を訪れた。

ベビーカーごと入れる余裕のある店内。
トイレにはオムツ交換台も用意され、赤ちゃん連れには大変ありがたい。

席にはメニュー表が2冊用意されていたので、私と妻それぞれで注文する品を考えることにした。

メニュー表を見ながら検討していると、息子が急に泣き出した。
急いでミルクをつくって飲ませると「ゴクゴク」と喉を通る音が、とても美味しそうに聞こえる。

「俺もミルクが飲みたい」

ふと芽生えた感情に従い、メニューにミルクが無いか探していると、珈琲の写真が占める中にミルクがたっぷり注がれたカップの写真を見つけた。

「これにしよう」

妻も注文を決めたので、呼び出しボタンを押すと、若い女の子が注文を取りに来てくれた。

「私はコーヒーとシロノワール

妻はコメダ珈琲店の定番人気メニューを頼んだ。
初めて来たお店でメニュー表に当店一番人気と書かれると、つい頼んでしまうのが人の心理なのだろう。

次は私が注文をする番だ。

「ラージミルク!」

私の注文を聞いて、店員の子は「ん??」という戸惑った顔を見せた。
珈琲店で珈琲を頼まずミルクだけを頼むのは非常識だっただろうか。
珈琲を頼む際のオプションとして、ミルクが用意されているのだろうか。

「すいません。メニュー表のどちらになりますか?」

店員はラージミルクというメニューがわからないようだ。
そうか、この子はまだ入ったばかりで、メニューをまだ覚えていないのだろう。
メニュー表の該当ページを開いて、ラージミルクの写真を見せた。

すると妻が「あれ?私のメニュー表と何か違うね」と、もう1つのメニュー表を差し出してきた。

妻から渡されたメニュー表を見ると、確かに何かが違う。
私のメニュー表には「Large milk」と書かれているが妻のメニュー表には「たっぷりミルク」と書かれている。

「これ、外国人向けじゃないの」

よくよく見ると私の持つメニュー表は表面に大きな字で「English」と書かれていた。
疲れていたのか、何の違和感も感じずに英語のメニュー表を受け入れてしまっていたようだ。

しかし、外国人向けのメニュー表だが、注文したメニューに間違いはない。
外国人にしか注文出来ない限定メニューではないだろう。
では、なぜ注文が通じなかったのか考えると、発音が悪かったからに違いない。

「ルゥアァズィムィルクッ!」

エルの発音は難しい。

○○の○○

私の部署は会社の雑用全般を処する総務課。
総務課には会社のほぼ全ての部署から電話がかかってくる。


「営業部の田中さんからお電話です」


「人事部の斉藤さんからお電話です」


担当者に電話を繋げるのも私の仕事の一部。
仕事が忙しいと聞き間違えたり、言い間違えたりしまうことがある。


「秘書部の川上さんからお電話です」


「川上?川崎じゃない?」


「マーケ部の村田さんからお電話です」


「村田?田村だろ?」


間違いながらも会話は整理していたが、ついに一線を越える瞬間が訪れた。


「鈴木部のシステムさんからお電話です」


「………?!」


総務課全員の頭の中に、一瞬の空白が訪れた。