置いてきた記憶

家で子供をあやしていたが、今日は機嫌がとても悪い。
外の空気を吸って外の景色を眺めたら、彼も少しは落ち着くかもしれない。
気分転換に子供を連れて散歩に行くことにした。


「ちょっと坊主連れて散歩してくるわ」


子供を抱っこ紐で抱き、妻に見送られて玄関を開けると、目の前に1人の警察官が立っていた。


「こんにちは」


若い男性の警察官が、すぐに挨拶をしてきた。


「えっ!」


制服を来た警察官が、いきなり目の前に現れると動揺してしまう。
何だ?俺を捕まえに来たのか?
先日捕まった時の交通違反反則金は、しっかり払ったぞ。
なんで家に??
動揺しながらも「こ、こんにちは」と挨拶を返した。


「こちらは若松さんのお宅ですか?」


手元にある書類を見ながら、警察官は私に尋ねた。
犯罪捜査の聞き込み?
前に住んでた住民が何か犯罪を犯して、調べに来たのだろうか?
全然関係ないのに関係者や仲間と思われるのも心外だ。
自然体を意識して、態度で潔白を証明しよう。


「いえ、違います」


「失礼しました。私は那覇交番の与儀といいます。こちらにはいつからお住まいでしょうか?」


警察官はアパートの入居日、氏名、家族構成、連絡先などを順に聞いて記録を取っていった。


懐かしい・・・。


長いやり取りの中で、かつて自分が警察官だった頃の記憶が戻って来た。
担当地域のお宅を一軒一軒訪問し、地域の防犯情報の提供や困り事の相談を受けるのも警察官の仕事のひとつ。
私の配属先は田舎だったため、地域の繋がりが強く近所の方はみな周りに住んでいる人の事を良く知っていた。
そして、個人情報を教えることにそれほど抵抗がなかった。


しかし、人間関係が薄い都会で、今の時代に家族構成や連絡先まで聞きとりするのは、警察官とはいえ厳しいだろう。
おそらく断られることも多いはずだ。
それでも熱心に仕事をする目の前の若い警察官を応援する意味で、聞かれたことには全て答えた。


「ありがとうございます。何かありましたら那覇交番の与儀までご連絡ください」


若い警察官はそう言って、アパートの隣の部屋へと向かった。

私は昔の懐かしい記憶を思い出した気持ちの高ぶりを落ち着かせるため、外出を取り止め玄関の扉を閉めて家に戻った。
すると、すぐに妻が心配そうに駆け寄ってきた。


「大丈夫?」


玄関で警察官とやり取りしている間、妻は奥に下がっていたので詳しいやり取りを聞いていない。


「あぁ、大丈夫。何もないよ」


それでも妻の顔色は冴えない。


「もし、必要ならもって行って」


妻の手から私に黒いショルダーバックが手渡された。


「これは?」


「お泊まりセット。急ぎで用意したの」


私が警察に捕まると勘違いした妻は、すでに着替えとタオルをバッグに詰めて準備をしていた。